実践的パラドックス

最も危険な資金調達方法は『調達しないこと』という逆説

「借金は悪」「無借金経営こそ理想」——そう信じて疑わない経営者の方々に、今日は少し耳の痛い話をさせていただこうと思います。

私、山岡佳弘は三井住友銀行で20年以上、中小企業の資金繰り支援に携わってまいりました。

バブル崩壊後、リーマンショック時と、幾度となく経済の荒波を目の当たりにする中で、一つの確信を得ました。

最も危険な資金調達方法は、実は『調達しない』ことなのです。

これは決して銀行員だった私の手前味噌ではありません。

現場で数千の企業を見続けてきた結果として、「借りない経営」にこそ最大のリスクが潜んでいることを、皆さんにお伝えしたいのです。

「借りない」は美徳か?それとも盲信か?

資金調達不要論の背景と広がり

昨今、ビジネス書やセミナーでは「無借金経営」が美徳として語られることが多くなりました。

確かに借金がないというのは、表面的には健全に見えます。

しかし、これには大きな落とし穴があります。

実際のデータを見ると、2018年の調査では全国の無借金経営企業は約25%存在しますが、専門家は「無借金経営は実はとてもリスクが高い経営方法で決して良いとは言えない」と警鐘を鳴らしています。

「自力経営」の落とし穴

私が銀行員時代に出会った多くの経営者は、「自分の力だけでやりたい」という強い意志を持っていました。

その気持ち、よく分かります。

誰かに頭を下げることなく、自分の思うように経営したい。

でも、ちょっと待ってください。

その「自力」って、本当に自力でしょうか?

現実には、以下のような問題が潜んでいます:

  • 急激な売上変動への対応力不足
  • 設備投資や技術革新の機会逸失
  • 金融機関との関係構築不足による緊急時の孤立

バブル崩壊・リーマンショックで見た”備えの差”

バブル崩壊時、リーマンショック時。

私はまさに融資の最前線にいました。

その時に気づいたのは、倒産した企業の多くが実は「借りられなかった」企業だったということです。

日頃から金融機関との関係を築いていた企業は、危機の際に迅速な支援を受けることができました。

一方、「借りない主義」を貫いていた企業ほど、いざという時に頼る先がなく、窮地に陥ってしまったのです。

こう見えて、実は現金主義な私でも、この現実には愕然としましたわ。

キャッシュフローがすべて:現金主義経営の現実

手元資金と「安心」の関係

「現金があれば安心」——これは半分正解で、半分間違いです。

現預金が非常に少ない無借金の会社は、借り入れ実績がないので銀行がお金を貸してくれないため倒産するリスクが高いのが現実です。

つまり、「現金主義だから安全」ではなく、「十分な現金+調達力」があって初めて安全なのです。

手元資金だけに頼る経営は、実は一本足打法のようなもの。

バランスを崩した瞬間、一気に転倒してしまいます。

売上があっても倒れる企業の共通点

銀行員時代、黒字倒産する企業を数多く見てきました。

その共通点は以下の通りです:

  1. キャッシュフローの軽視
    売上は順調でも、回収サイトが長く、支払いサイトが短い
  2. 調達手段の欠如
    いざという時に頼れる金融機関がない
  3. 資金繰り予測の甘さ
    季節変動や市場変化への対応不足

簡易キャッシュフローがプラスであったとしても、年間返済額が上回る場合、手元資金などの資産が減少していき、営業活動に支障をきたすという現実を、多くの経営者が軽視しています。

自己資金依存の限界と人材・資源の活用戦略

自己資金だけに頼る経営には、明確な限界があります。

成長のスピードが制限されるのです。

優秀な人材を確保したい。

最新の設備を導入したい。

新しい市場に参入したい。

これらすべてに、タイミングが重要です。

自己資金の蓄積を待っていては、競合他社に先を越されてしまう。

そんな時こそ、適切な資金調達が威力を発揮するのです。

「信用」とは何か:調達力の正体を見極める

信用は貸借対照表に載らない資産

私がよく経営者の方に申し上げるのは、「信用は見えない資産」だということです。

無借金企業においては金融機関との関係性が希薄であるため、税理士や公認会計士が特に重要な相談相手になるのが現状ですが、これでは緊急時の対応力に限界があります。

信用とは:

  • 過去の取引実績
  • 返済履歴
  • 経営者の人柄と能力
  • 事業の将来性への評価

これらは決算書には現れませんが、企業の真の価値を決定する重要な要素なのです。

金融機関との関係構築のリアル

「銀行は晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」

そんな批判をよく耳にします。

でも、それは関係構築を怠った結果なんです。

日頃からの関係があれば:

  • 業界動向の情報提供
  • 経営課題の相談相手
  • 緊急時の迅速な対応
  • 有利な条件での資金調達

これらすべてが可能になります。

借りられるときに借りるべき理由

2025年以降は、コロナ関連融資の特別措置が一部例外を除き利用できなくなり、融資環境の悪化が予想されています。

つまり、「借りたい時に借りられる」という保証はどこにもないのです。

借りられる時に借りておく

これが資金調達の鉄則です。

必要になってから慌てて走り回っても、時既に遅し。

準備は晴れた日にするものなんです。

借りない経営の再定義:創意と工夫の資金戦略

内部資源の再配置とイノベーション

「借りない経営」を完全に否定するつもりはありません。

大切なのは、その真の意味を理解することです。

本当の意味での「借りない経営」とは:

外部資金に依存せずとも成長できる内部体制の構築

これには以下が必要です:

  1. 徹底的な効率化
    無駄なコストの削減と生産性向上
  2. キャッシュフローの最適化
    回収サイトの短縮と支払いサイトの調整
  3. 付加価値の向上
    競合との差別化による利益率改善

ストック型思考とコストの見直し

私が「借りない経営」を支援する際に重視するのは、ストック型思考です。

フロー(売上)だけでなく、ストック(蓄積)を意識する。

これには以下の視点が重要:

  • 顧客との長期関係構築
  • 知的財産やノウハウの蓄積
  • 人材の育成と定着
  • ブランド価値の向上

小さな投資が生む大きな回収

面白いことに、本当に効率的な「借りない経営」を実現している企業ほど、実は戦略的な借り入れを活用しています。

実際、2017年度末で上場企業の約6割が実質無借金経営(手元資金が有利子負債より多い状態)を実現しており、これが新しいスタンダードになりつつあります。

小さな投資で大きなリターンを得る。

そのためには、適切なタイミングでの資金調達が不可欠なのです。

調達しないことが最も危険な理由

成長機会を逃す「慎重さ」という名のリスク

経営において、最大のリスクは「何もしないこと」かもしれません。

機会損失は本来得られたはずの利益を失う「未来的な損失」で、企業の成長を阻害する大きな要因となります。

慎重になりすぎて機会を逃す。

これは資金調達においても同様です。

以下のような場面で、調達を避けることのリスクが顕著に現れます:

市場拡大期の投資機会

競合が積極投資する中、自社だけが様子見を続ける

優秀人材の獲得競争

給与水準を上げられず、人材が流出

技術革新への対応

設備投資や研究開発に後れを取る

有事への備えとしての調達

東日本大震災、コロナ禍。

予期せぬ事態は必ず起こります。

その時に「調達力」がない企業は、なすすべがありません。

有事の備えとしての調達には、以下の意味があります:

  1. 緊急時のキャッシュ確保
    売上激減時の運転資金
  2. 事業継続のための投資
    新しいビジネスモデルへの転換資金
  3. 回復期の成長投資
    競合が弱った隙の市場獲得

「借りない」は「借りられない」と紙一重?

最も怖いのは、「借りない」と「借りられない」の境界が曖昧になることです。

無借金会社は借り入れ実績がないので銀行がお金を貸してくれないという現実があります。

つまり:

  • 調達を避け続ける
  • 金融機関との関係が希薄になる
  • 信用力が客観的に証明できない
  • いざという時に借りられない

この悪循環に陥ると、もはや「借りない経営」ではなく「借りられない経営」になってしまいます。

イノベーション時代において機会損失リスクは中長期的な時間軸で考える必要があり、適切な投資やリスク分散が重要だからこそ、調達力の維持は企業の生命線なのです。

まとめ

「借りない経営」に潜む逆説を見抜く視点

私が20年以上の融資現場で学んだ最大の教訓。

それは、真の「借りない経営」とは、いつでも借りられる状態を維持しながら、借りなくても済む経営体質を作ることだということです。

これは決して矛盾ではありません。

むしろ、最も理想的な経営の姿なのです。

調達とは”未来の選択肢を買う行為”

資金調達を「借金」として恐れるのではなく、「未来への投資」として捉える。

この視点の転換が、企業の成長を大きく左右します。

キャッシュフロー経営は手元資金を重視し安定した経営を実現するが、収益機会を逃す可能性もあるという指摘の通り、バランスが重要なのです。

調達とは:

  • 選択肢の確保:必要な時に必要な投資ができる
  • 時間の購入:市場機会を逃さない
  • リスクの分散:自己資金だけに依存しない
  • 成長の加速:競合に先んじた展開が可能

現金主義だからこそ見える資金戦略の可能性

こう見えて、実は現金主義な私だからこそ言えることがあります。

現金の価値を真に理解している者こそ、適切な負債の活用の重要性が分かるのです。

登山に例えるなら、装備を軽くしすぎて遭難するより、必要な装備をしっかり背負って安全に登頂する方が賢明でしょう。

資金調達も同じです。

最も危険な資金調達方法は『調達しないこと』

この逆説を胸に、皆さんには真の意味での強い経営を実現していただきたい。

それが、現場を知る者からの心からの願いです。